無遅刻無欠席の中学時代を経て
高校生になった息子が突然不登校になった。
不登校の原因の背景になったのは
今思うと知的障害があったからかもしれないが、
当時はまだ知的障害が判明する前。
不登校の子供を持つ親として当時の苦労を記録していく。
目次
不登校は突然始まった
中学までは無遅刻無欠席
学校が好きな子供だった。というか人と接することが好きな子だった。
友達も多くてその友達と同じ部活で、毎日楽しそうだった。
高校生になったらもっと楽しいよってよく話もしていたほどで
子供自身も高校生活を楽しみにしていたと思う。
「学校に行きたくない」と言われて驚いた
高校1年生の2学期に入ってすぐのこと。
- お腹が痛いから休む
- 気持ち悪くなったから早退する
こんなことを息子がよく言うようになった。
無理はさせずに自宅で休ませていたのだけれど
それからしばらく経った日に息子からの吐露。
学校大好きなはずなのに行きたくないって言われてすごくびっくりした。
いじめられているのだろうと思って、学校側にも確認したけどそれもなく。
理由ははっきりつかめないまま息子は不登校児となった。
心療内科へ通い始めた
不登校になってしばらくすると子供がげっそりやせ細り目がうつろになっていた。
ひとめで見てこれはよくないってわかるほどに。
すぐに学校のカウンセラーと連絡を取り
メンタルクリニックに相談した方がいいと言われて受診することになった。
最初の高校を辞めることになった
クリニックで処方された薬が子供に会っていたようで
体調はみるみる回復。
ご飯も食べられるようになり目つきもしっかりしてきた。
見た目の病的な感じもすっかり消えていた。
それでも学校には行けなかった
体調がよくなったはずなのに学校には行けないまま。
理由がわからなかった。
ただ学校サボってるのかなって邪推して当時はよく口論にもなった。
単位不足で退学が決まった
学校側からも出席日数が足りないです。
このままだと留年ですよって何回も連絡が入った。
そんなことはわかってる。
わかってるけど行けないから苦しんでいる。
理由もわからないままとても漠然とした状態なのもとても苦しい。
学校側も間違ったことは言ってないのに
私は感情のやり場がなく怒鳴ってしまったこともあった。
- 学校に行けなくて苦しむ息子
- 学校に行かせたくて苦しむ私
ひたすら平行線のまま結局出席日数不足で単位を落とし、
そのまま別の学校に転学することになった。
2つ目の高校でも同じ壁にぶつかった
| 2023年4月 | 1つ目の高校入学 |
|---|---|
| 2024年4月 | 2つ目の高校に転学 |
転学先に選んだ2つ目の高校は全日制ではなく単位制(定時制)の学校。
子供の不登校のことも考慮して少し緩めの方がいいだろうと思い、
子供と相談してここに決めた。
心機一転ここで頑張ってくれれば1年くらいの遅れなんてまったく問題ない。
車で送り続けた日々
ところが入学して2か月も経たないうちにやはり息子は学校に行くのを渋るようになった。
前の学校の時もそうだったのだけれど、
理由はよくわからないが教室に入ってしまえばあとは普通に過ごせるらしい。
- 家を出る
- 学校に向かう
- 教室に入る
この3ステップが超えることができさえすればあとは
やり過ごせるというのがうちの息子のパターン。
学校に行く必要性は子供自身もわかっている。
わかっているけど動けない。
それなら車で送っちゃえば一気に解決だ。
てことで自力で学校に行けそうにない時は学校に送っていき、
学校に行くのを渋ってる時も半ば無理やり車に乗せて学校に連れて行く
とにかく教室に入れることに必死だった。
出席日数が足りない足りない、と言われ続けてきたので
それを何とか間に合わさなければ。
教室の目の前で動けなくなった日
| 2022年4月 | 1つ目の高校入学 |
|---|---|
| 2023年4月 | 2つ目の高校に転学 |
| 2024年1月~2025年3月 | 休学 |
その無理を続けたのがよくなかったのか、とうとう息子に限界が来た。
その日はこれ以上休んだら単位が取れませんよ、という授業のある日で
いつものように車で学校に送っていったのだけど、
息子が車から降りてくれない。説得したのだけれどさっぱりだめだった。
学校側にも事情を伝え、担任の先生にも協力してもらい
なんとか自分のクラスの教室の前までは来ることができた。
だけどどうしても教室に入ることができない。
クラスメイトにも声をかけてもらって入るように説得。
だけど結局この日は教室前に2時間立ち尽くし。
そのまま帰ってきた。もちろん単位は取れなかった。
息子はこれを機に学校を1年3か月間休学することになった。
休学中に知的障害がわかった
休学中にメンタルクリニックを転院することになり、
転院先の病院で受けた検査で中度知的障害だと診断された。
心理検査で見えたこと
検査を受けた結果、分かったこととして心理検査報告書というものをもらった。
それは息子の特徴をまとめたもので、
- 得意なこと
- 苦手なこと
がとてもわかりやすくまとめられていたものだった。
高校生を続けるうえでネックになりそうなことも書いてあったりして
親としては不安がよぎったが、
とにもかくにも高校生を続けるも続けないも息子の意思が最優先。
復学か転校か
休学がそろそろ終わるって時に学校が面談の機会を設けてくれた。
復学の意思確認だ。
息子は毎日学校に行くというのをとても難しいことだと言い、
週1の登校で済む通信制に行ってみたいといった。
3つ目の高校。
あっちがだめならこっちを繰り返しているに過ぎないんじゃないかと
正直思ってはいたけれど、子供がやりたいことを潰す親なんて存在しない。
やりたいならやってみればいい。
ということで再々転学。通信制高校に今度は通うことに。
通信制高校へ 今までにないハードル
| 2022年4月 | 1つ目の高校入学 |
|---|---|
| 2023年4月 | 2つ目の高校に転学 |
| 2024年1月~2025年3月 | 休学 |
| 2024年10月 | 知的障害判明 |
| 2026年4月 | 3つ目の高校に再転学 |
そうして3つ目の高校への転学が決まった。
1つ目、2つ目の高校は自転車通学だったが、3つ目の高校は電車通学。
しかも1時間半ほどかかる。
長時間通学に私は不安だったけれど週1だしまあなんとかなるのかなとも思っていた。
通勤ラッシュが大きな壁になった
不安は的中。
通勤ラッシュにもまれた息子は大きなトラウマを抱えてしまった。
通勤ラッシュ時は私とずっと通話をつないだ状態で電車に乗って登校。
息子も必死で頑張っていたのはわかっていたけれど、
私も仕事をしながら息子と通話を20分くらいつないでいないといけなかったのは
かなり大変でした。
結局通信制高校への登校も2か月ほどしかまともに行けず。
週1の登校ですら行けなくなってしまった。
高校生でいることは息子が望んでいるはずなのに
高校生でいることにそもそも意味はあるのか。
私は2つ目の高校の時にそんな疑問はずっと持っていた。
結局行けなくなって私も子供も苦しむことになるのだから
高校なんて行かない方が幸せじゃないか?
何年間も何回も不登校と転学を繰り返してきたけれど
子供が高校生でいたいって言わなければとっくに退学させて終わりにしていた。
どうしてここまでして高校生でいることにこだわりをもっているのか
私にはわからなかった。
息子に知的障害のことを改めて伝えた
息子に知的障害の話を改めて説明する機会があった。
知的障害のことは判定を受けた時にすでに話してはあるものの、
なんかいまいちピンと来てないような、
そんな反応だったのでわかってないままだろうと思っていたから。
ただ、話した当時は私にも知的障害を受け止めきれる余裕もなければ
冷静でもいられず。けっこう泣いてばかりの日を過ごしていたので
当時はきちんと子供が理解するまでの説明ができずにいた。
息子に自分の知的障害をきちんと説明し、
理解してもらったうえで今後どうするのかを相談した方がいい。
そう思ったから改めて説明した。
「周りはできるのに、なんで僕だけできないんだろう」
改めて知的障害の説明をして、子供が理解した瞬間。
子供は大きく泣き崩れました。
「僕はずっと苦しかった」
「周りの人はできるのに、なんで僕だけできないんだろうってずっと悩んでいた」
そう言ってて聞いててすごくつらかったですね。
きちんと理解するまで話すのが遅れちゃってごめんよ。
苦しめてしまっていたか。
たぶん一生引きずる後悔になりましたね。
もう少し早く説明できていれば。
何か違う選択肢を選べたかもしれない。
通信制に行くって言わなかったかもしれない。
通勤ラッシュで苦しまなかったかもしれない。
学校以外の道があることを伝えた
知的障害の話をしたときにこんなことも伝えました。
高校は無理に行かなくてもいい。
知的障害を抱えながら高校生やるのがつらいってのは
息子自身がいちばんつらさをわかっているでしょう。
つらくても高校を卒業しておきたいって気持ちがあるなら行っても構わない。
お母さんが決めるんじゃない。自分自身で決めるところだから。
高校を辞めることになってもすぐに働くのは難しいのもわかってる。
知的障害の人が働く練習の場所があるって聞いたことがあるから、
まずはそういうところに行くのもいい。
ただ、学校を辞めて家にひきこもっちゃうのは絶対に避けたほうがいい。
学校なら学校、学校以外ならなんらかの組織に通う形を取った方が
今後働くことを考えてもその方がいい。
学校を辞めるか
学校を辞めて働く練習をする場所に通うか
息子は少し考えてから結論を出すと言った
H3 息子が自分で出した結論
1週間悩んで息子が出した答えは「学校を辞める」でした。
私はこうなることは2つ目の学校を休学したあたりからなんとなく予想はついていた。
でも大切なのは子供自身が納得して辞めることだと思ったから無理に辞めさせはしなかった。
納得して辞めるという答えを出した方がきっと次に進みやすいだろう。
そして自分自身で学生でいることをやめて
社会人への道を歩むことに生き方を変えた息子を引き続きサポートしていきたい。
H2 今でも後悔していること
| 2022年4月 | 1つ目の高校入学 |
|---|---|
| 2023年4月 | 2つ目の高校に転学 |
| 2024年1月~2025年3月 | 休学 |
| 2024年10月 | 知的障害判明 |
| 2026年4月 | 3つ目の高校に再転学 |
| 2026年7月 | 知的障害の説明をしっかり伝える |
| 2026年7月 | 3つ目の高校退学 |
息子の高校時代は3つの高校を転々とした結果、退学という結果になった。
その都度その都度息子自身で進路は決め、それを辞めるというまでは続けてもらった結果。
もっと早く話しておけばよかった
息子自身に知的障害を認識させたことで学生を辞める選択をしたことを考えると
もっと早い段階で知的障害のことをしっかり説明しておくべきだった。
この後悔はたぶんしばらく引きずる。そのくらい反省した。
通信制高校へ行く前に伝えられていたら
もしかしたら通信制に行くという選択をしなかったかもしれない。
通信制に行かなければ通勤ラッシュで苦しむこともなかったし
パニック障害の薬も飲まずに済んだのに。
そんな風に考えてしまうから後悔が止まらない。
それでも、あの日は人生の転機だった
全日制で不登校になったら定時制を探した。
定時制でも苦しんだら休学の道を探した。
通信制も見学に行った。
病院にも連れて行った。
心理検査も受けた。
市役所にも相談した。
知的障害の説明もした。
あの時の私は「不登校」「知的障害」
初めての単語との付き合いに手探り状態でとても必死だった。
今振り返ると後悔もたくさんある。
でもあの時はそれが最善だと思って選んだ道。
知的障害のことをきちんと伝えたあの日は間違いなく私にも息子にも人生の転機だった。
それから息子はとても前向きに頑張っている。
変わったのは周りのペースではなく自分のペースが比較的維持できている点。
学校に急かされていた4年間と今は子供の表情が違うように映る。
これからどうなるかわからないけれど、
学校を辞めた選択は間違っていなかったって子供の表情だけでも今はそう判断できる。
今後もきっと何か問題は起きるだろう。
その時はそのたびにまた話し合って周りの人の力を借りていこうと考えている。
きっとまた手探り状態で足掻くことにはなるだろうけれど。
Warning: Trying to access array offset on false in /home/sayu12/tv-matome.net/public_html/wp/wp-content/themes/jin/cta.php on line 8
Warning: Trying to access array offset on false in /home/sayu12/tv-matome.net/public_html/wp/wp-content/themes/jin/cta.php on line 9

