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知的障害の息子が高校中退後に見せた4つの変化

息子が高校を辞めると決めたとき、正直ほっとした気持ちがありました。

朝起こしても起きない学校へ連れて行こうとしても行けない息子と
学校へ行く行かないで親子喧嘩をしなくて済むから。

ほっとしたと同時に、大きな不安もありました。

高校というしがらみがなくなったら、息子は家から出る理由そのものがなくなってしまう。
このまま本当の引きこもりになってしまうのではないか。
本当に親としての手立てがなくなってしまう。

一般的に、高校中退というと将来への不安を感じる人も多いと思います。
私もむちゃくちゃ不安でした。

だけど、息子の場合は違いました。
高校を辞めたことで人生が止まったのではなく、少しずつ前へ進み始めたのです。

この記事を読んでわかること

知的障害のある息子が高校中退後に起きた4つの変化がわかります

  1. 電車を乗り間違えても通うことをやめなかった
  2. 一人で病院へ行けるようになった
  3. 家庭でも自分から動くことが増えた
  4. 自分で目標を決めるようになった

知的障害を伝えたあと、息子に次の道を話した

息子に知的障害について改めて説明しようと思ったきっかけは
通信制高校の最初の課題が提出できなかったことでした。

それまで高校は3校目でした。全日制高校、定時制高校、そして通信制高校です。
(3つの高校の詳しい話はこちらの記事を見てください)

通信制高校へ入学を決めたのも「週に1回なら通える」という息子の言葉が理由。
しかし実際は、行けない日の方が多く課題も提出できませんでした。

私は息子に聞きました。
「このままで本当に卒業できると思う?」
そのうえで、療育手帳を取得したときの話をしました。

「前に検査を受けて知的障害だと言われたけど、その意味は分かる?」
息子は「分からない」と答えました。
そこで私は、知的障害とは努力不足や頑張り不足ではないことを説明しました。

さらに私はこう伝えました。

高校へ行きたいなら行ってもいい。でも実際には行けていないし、課題も出せていない。
それは頑張りが足りないんじゃなくて、脳が限界だと言っている状態なんじゃないか?

高校を辞めることになったとしても、すぐに働けとは言わない。
知的障害の人には、まず働く練習をさせてくれる場所があるから。
そういう場所で練習して自信をつけてから働けばいい。

そんな話をしました。
今思えば、この話が息子の進路を考える大きなきっかけになったのかもしれません。

働く練習という選択肢が見えた

息子は長い間、「どうして僕だけできないんだろう」という思いを抱え、
高校生活も、そのコンプレックスと戦いながら続けていたのだと思う。

学校へ行きたい気持ちはある。でも行けない。
頑張ろうと思っても続かない。
周りが当たり前にできることが、自分にはできない。

そんな経験を何度も繰り返してきました。
学校がつらい。でも、働くという選択肢も現実的には見えていなかったと思います。

息子はよく「お母さんの仕事は僕にはできない」と言っていました。

私は軽貨物ドライバーとして働いているので、週に何日も朝から晩まで働いています。
その姿を見ていたからこそ、働くことに対する不安や恐怖も強かったのかもしれません。

だから私は、「働く練習をする場所があるんだよ」と伝えました。
学校を辞めたらすぐ働かなければいけないわけではない。

まずは練習から始めればいい。そういう選択肢があることを伝えました。

すると息子は「ちょっと考えてみる」と言いました。

私は無理に答えを急がせませんでした。
すぐには結論が出ないだろうと思っていたからです。

でも実際には、一週間ほどで息子からLINEが届きました。
「学校やめる 新しい人生歩む ゲームがしたい」

今思うと、働く練習という選択肢を知ったことが、
息子が次の一歩を考えるきっかけになったのだと思います。

息子は高校を辞めることを選んだ

「学校やめる 新しい人生歩む ゲームがしたい」

息子からそのLINEが届いたとき、私は「ついに決めたんだな」と思いました。
正直、私はホッとしました。

もちろん高校を辞めれば中卒になります。
息子の将来を考えれば不安がなかったわけではない。

だけど、4年間悩み続けた学校へ行く行かないの直面し続けてきた問題が終われる。

私は4年間毎日ずっとこのことばかり考えてきたから。
だから、まずその状況から解放されることにほっとしました。

ほっとした理由はもう1つ。

私は息子自身に決断させたかった。
4年も学校行けなかったのだから親の判断で「もう辞めなさい」と言うことはできた。
でも、それをしてしまったら息子は納得できないまま高校を辞めることになります。

「本当は続けたかったのに辞めさせられた」

そんな気持ちが残れば、引きずることになって次に進みにくくなるのでは。
だから私は、本人が納得するまで待とうと思っていました。

実際、親の私から見れば、
知的障害が分かってから転学を決めた通信制高校だったけど、
卒業は厳しいだろうなとぼんやり予想していました。

それでも息子が通えそうだと言ったこともあり、
厳しいとは分かっていながらもあえて通わせました。
息子自身が答えを出すための時間が必要だと思ったから。

そして今回、「高校を辞める」と決めたのは息子自身。
「ああ、やっと自分で納得できたんだな」
そう思いました。

高校中退を決めてから正式に決まるまで

息子が「学校やめる 新しい人生歩む ゲームがしたい」と
LINEを送ってきたのは8月のこと。

でも、そこからすぐに高校中退の手続きが始まったわけではなく、
10月頃まで特に大きな動きはありませんでした。

私は高校中退の話を急かすこともしませんでした。

「退学届はどうするの?」「学校には連絡したの?」
そんなことも聞きませんでした。

一度は辞めると決めたものの、本当にそれでいいのか迷っているのかもしれない。
本人が納得してから動くべきだと思っていました。

私は何もなかったかのように普段通り接しながら、
息子が自分で動き出すのを待つことにしました。

すると10月頃になって、息子は自分から学校へ連絡をして、
学校から退学届の書類が送られてきました。

言われて動いているわけではなく、自発的に行動しています。
「ちゃんと自分で前へ進もうとしているんだな」と感じました。
そして書類を提出し、11月に正式に高校中退が決まりました。

高校中退後、息子は自分から動き始めた

「市役所で何て言えばいいの?」

11月に高校中退が決まり、2日後のことでした。

息子からこんなLINE。
「市役所に行こうと思うんだけど、何て言えばいいか分からないから行けない」

息子が言いたいのは「働く練習をする場所のことだな」と分かりました。

私は息子に、
「療育手帳を持って市役所の福祉課へ行っておいで。
そして働く練習がしたいので、そういう場所を紹介してください」
と話せば大丈夫だよと伝えました。

すると息子は、その日のうちに市役所へ向かい、
働く練習ができる場所を紹介してもらったと話してくれました。

高校を辞めると決めたあとも、私は何か月も動けないかもしれないと思っていたのに。
なんだなんだこの行動力。

高校中退が決まってすぐ、自分から次の一歩を踏み出そうとしていたのです。
人生変えたいって本当だったのか!ととても驚いたしとても嬉しかった。

就労移行支援事業所との出会い

市役所で紹介されたのは、就労移行支援事業所。
なじみのない名前にまったくピンとこない。

でも今の息子にはここしかない。

市役所の説明でまずは見学申し込みを、とのことだったので
息子に電話をさせました。

この時の息子は行動力ありそうだったから基本的に本人にやらせて、
私は1歩下がって付き添い役に。

実際に見学に行き、そのあとスタッフと今後の相談をした時のこと。
「見学してどうですか?試しに通ってみますか?」
と聞かれているのに息子はなかなか返事すらしない。

返事をしないのは息子がやる気がなかったわけじゃなかった。
この時息子は悩んでいました。

自分から不安に思っていることを話し始めました。
それは、前もって日時を決められると行けなくなってしまうこと。
高校でもデイサービスでも、何度もここでつまずいていました。

息子の悩みに対し、
スタッフの方も「最初は約束しなくてもいいですよ」と言ってくれたのです。

「朝起きて、今日は行けそうだなと思ったら来てください」
そう提案してくれました。

息子も真剣に考えていました。だいぶ長時間悩んでました。
そしてやっと出た答えが「それならやってみます」

お試し利用が決まりました。
まずは3回通ってみる。
そこから息子の新しい挑戦が始まりました。

また続かないんだろうと思っていた

学校もデイサービスも続かなかった

就労移行支援事業所のお試し利用が決まったとき、
正直私は「これも難しいだろうな」と思っていました。

不登校になってから、4年間。
息子には定期的に通うということ自体難しいんじゃないかって思ってたから。

高校は不登校。
メンタルクリニックのデイサービスも予約3連続ドタキャン。

今までずっと行けない子だった。
「学校もダメ。デイサービスもダメ。だから今回もきっとダメ」と考えていました。

またダメでしょ

  1. 何か新しいことを始める。
  2. 最初は頑張る。
  3. でも2〜3か月すると行けなくなる。
  4. そこから親子喧嘩が始まる。
  5. 私が諦める。
  6. そしてまた引きこもりの生活に戻る。

4年間この繰り返し。

だから就労移行支援事業所へ通うことが決まっても、
「場所が変わっただけで、また同じことになるんじゃないか」
という気持ちがどこかにありました。

だからといって何もしないわけでは引きこもりが悪化するだけだし。
その時その時でできることを考え、良さそうだと思ったものはとりあえずやってみる。

そんな気持ち。
紹介されたから見学へ行く。
お試し利用もしてみる。
やれることはやる。

マジで手探り状態。何が正解かなんてわからない。
それはこの記事を書いている今もそう思ってます。

少しずつ見えてきた変化

変化①電車を乗り間違えても通うことをやめなかった

お試し利用の頃、息子は電車を乗り間違えたことがありました。

就労移行支援事業所の最寄り駅は複数の路線が乗り入れている駅で
帰りに違う路線へ乗ってしまったのです。

息子なりに準備はしていました。
電車のアプリで何時何分、何番線に乗るかを調べていました。

ただ、「何番線に乗る」ということだけを見ていて、
JRなのか私鉄なのかまでは理解していなかったようでした。

しかも乗った電車が快速だったため、
気付いた時にはかなり離れた駅まで行ってしまった模様。

息子からパニック状態で電話がかかってきました。
「どうしようどうしようどうしようどうしよう。知らないところに来ちゃった。」

だいぶパニックになっていました。

私はまず落ち着かせながら、居場所とか見えるものを伝えてもらい
その結果、乗る電車を間違えていたことが見えてきました。
そこから元の駅へ戻る方法を一緒に確認し、無事に帰宅。

私はこの出来事で、
「もう息子は心が折れてしまうかもしれない」と覚悟しました。

電車に乗ることは、知的障害のある息子にとって簡単なことではありません。
「やっぱり電車通いは難しいのかもしれない」とも考えました。

でも違いました。

次の週になると、息子はまた行こうとしていたのです。
あんなにパニック起こしていたんだからトラウマになってもおかしくない。
もう行きたくないと言い出すと思っていました。

でも息子はそうではありませんでした。

私にとっては大きな挫折になりそうな出来事でも、
息子にとってはそうではなかったのです。

今振り返ると、この頃から少しずつ
私の予想をいい意味で裏切るような変化が始まっていたのかもしれません。

変化②一人で病院へ行けるようになった

「1人で就労移行支援に行けるなら病院も行けるんじゃない?」
息子に提案しました。

息子からは「行けると思うけど病院でやることがわからない」って答えだったので
病院での手続きの仕方を練習することに。

  1. 受付のやり方
  2. 診察券の出し方
  3. 診察後の流れ
  4. 薬局での受け取り方

そういった一連の流れを練習してもらいました。

「今日はお母さんもいるけど、いないと思って全部自分でやってみて」

実際全部自分でできていたので
「もう次からは一人で行けるね」と話すと、息子も「大丈夫」と答えました。

そこから一人でメンタルクリニックは通院しています。

さらに、その成功体験は他の病院にも広がりました。

自転車で行ける病院なら自分で調べて受診できるようになったのです。

  1. 診察券
  2. お薬手帳
  3. マイナンバーカード
  4. 受給者証
  5. 療育手帳

これらをポーチにまとめ、外出時はポーチを持参すれば大丈夫という仕組みにしました。

今では初めて行く病院でも、自分で場所を調べて受診できるようになっています。
かつての息子を見てきた私からすると、とても大きな変化でした。

就労移行支援事業所が居場所になっていた

学校へ行く行かないの問題と4年も向き合ってきて、私自身も正直疲れていました。
就労移行支援事業所には、息子を支えてくれるスタッフの方がいました。

「この人たちは息子のことを一緒に考えてくれそうだな」と感じていました。

だから私はいい意味で放任することにしました。
もちろん見放したわけではありません。
困った時は話を聞くし、必要なら手伝います。
でも以前のように助けてと言われる前に助けようとすることはやめました。

実際、息子は担当のスタッフの方と連絡を取りながら通所について相談したり、
目標を決めたりしていました。
私はその様子を見守る立場。

息子にとっても「相談相手ができた」という面でとても大きな変化。

不登校だった時の息子は困ってどうしようもなくなると
命の相談窓口へ電話したり、警察へ相談していました。

でも就労移行支援事業所へ通うようになってからは、
「困ったらまず相談する相手がいる」という状態になりました。
ただ通う場所ではなく、相談できる人がいる場所になっていたのです。

変化③家庭でも自分から動くことが増えた

就労移行支援事業所へ通うようになってから、
家事の手伝いという面でも変化が見えるようになりました。

頼めばやってくれいた家事の手伝いでしたが、
体調のいい日は頼まなくてもすすんでやってくれます。

さらに「何かやることある?」と聞いてくることもあります。
自分で考えて動いているのです。

もう一つ変化を感じたのは息子の部屋。
私から言われなくても自主的に掃除をするようになりました。
最近は息子の部屋はいつもキレイに整っています。

私にとっては大きな変化でした。
高校へ行けるか行けないかで悩み続けていた頃には、想像できなかった姿。

今の目標は週2回通うこと

今の目標は週に2回通うこと。

ただ、この目標は私が決めたものではなく、
息子と就労移行支援事業所のスタッフの方が相談して決めた目標です。

だから私にとっては、週2回という数字そのものはあまり重要ではありません。
それよりも、自分で相談し、自分で考え、自分で目標を決めていることの方が
ずっと大切だと思っています。

息子なりに自分のことを分析もしています。
「〇曜日と〇曜日は体調が悪くなることが多いから、
その日は無理をせずに残りの日の中で2日行けるようにしたい」
そんな話をしてくれました。

これも息子が決めたこと。
理解してサポートしていきたいと思います。

変化④自分で目標を決めるようになった

今の私は息子を無理に動かそうとは思っていません。

「元気そうだから今日は行ってきなよ。」
「もっと通った方がいいんじゃない?」

以前ならそんなことを言っていたと思います。
出席日数との戦いを4年もやったころの癖ですね。

でも今は違います。

息子と就労移行支援事業所のスタッフの方が相談して決めた目標です。
だから私は、その目標を実践できるようにサポートしたいと思っています。

将来を考えれば、親との約束よりも他人との約束の方が増えていきます。
仕事をするようになれば、上司や同僚との約束もあります。
だから今は、支援員さんと相談しながら決めた目標に取り組むこと自体が
大切だと思っています。

少しずつですが、息子は自分で考え、自分で決めることが増えてきました。
まだ亀の歩みかもしれません。
でも、息子自身の人生です。

自分で考え、自分で決めながら、ゆっくりでも前へ進んでいってくれたら
それで十分だと思っています。

まとめ

高校中退後は就労移行支援事業所に出会いそこに通うことに決めた息子には
高校在学中には見られなかった変化が多くありました。

親心としても高校はなんとか卒業してほしいなどという思いはありましたし、
息子自身も高校は卒業したいとずっと考えていたようでしたが
高校中退後の方が明らかに息子は活動的ですし笑顔も増えています。

息子は私が思っていた以上に自分で考え、自分で動いていました。
これからも心配は尽きませんが、今は息子の力を少し信じて見守っていこうと思います。

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