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11年の結婚生活その1

pixel2013 / Pixabay

結婚から離婚するまでの私の物語です。

結婚スタートからつまづいていた

元旦那とは大学時代に知り合いました。
4年間ほど交際して結婚。

結婚する直前に、両家の親を巻き込むほどの騒動がありました。
この件で話し合いをしたけれど、結局解決せず。

そして結婚式当日。
問題を抱えたまま私は結婚してしました。

婚姻届も私は出す気分になれなくて投げやりになっていました。
元旦那に丸投げでした。
元旦那がひとりで役所に行って手続きしてきました。

新婚2か月目で別居

そんな状態で始まった結婚生活ですから当然うまくいきません。

問題が何も解決していないので
私は元旦那と一緒にいることがすごく苦痛でした。

付き合っていた頃は手をつないで歩いていましたが、結婚後は一切拒否。

喧嘩ばかりしていて、しまいには別居をしました。
新婚2か月目でした。
もう顔を見て喧嘩するのに疲れてしまったので
顔を見たくない、と私から言いました。

物理的に離れてみたら、自然と私の気持ちが落ち着いて
ちょくちょく連絡を取り、週末は会っていました。

こういう感じに気持ちが戻るのならまた一緒に暮らしても大丈夫かな、と
思えたので半年間の別居後に再び一緒に暮らし始めました。

妊娠・出産・浮気からの決意

それから1年後。
私は息子を授かり出産しました。

出産は里帰り出産で、3か月間ほど実家に帰っていました。

その3か月間で、元旦那は遊び放題だったみたい。
スマホを見たら、いかがわしい内容のやり取りが・・・!

むちゃくちゃ怒りました。
もう離婚してもいいとまで思っていました。

夫婦で散々話し合った結果、
離婚せずに、夫婦を続ける条件として

  1. 息子が15歳までは夫婦を続けること
  2. 里帰りを終えて自宅に戻るけど家庭内別居をする

この2つを条件にしました。

家庭内別居は気楽でした。
食事も別。洗濯も別。
出勤の時も帰ってきた時も見送らない。

表向きだけは普通の夫婦。
仮面夫婦ってやつですよね。

私自身も過ちがあった

そんなバラバラの生活を送り、4年が経ったころです。

当時もネットで収入を得る仕事をしていたのですが
オフ会で知り合った同業者の男性と仲良くなってしまいました。

すごく幸せでした。
もう離婚してこの男性と一緒になりたいって思いました。

私は家出をして男性の元に行ってしまいました。
この日(男性と漫画喫茶で宿泊し)は家に帰りませんでした。

私が家に帰らなかったその日の夜、
両家の両親&元旦那で集合して今後をどうするか相談する約束がありました。

私はその約束をすっぽかしました。

本当にどうかしていました。
今思うと子供を置いて家出するなんて考えられない。
このことを一生反省して私は子供を全力で愛することを誓いました。

結局、同業の男性とは音信不通になってそのまま別れてしまいました。

同時に、私もネット収入の仕事は家庭を立て直すためにも
辞めた方がいいなと判断し、辞めました。

と、同時に元旦那からの提案で家庭内別居を解消することになりました。

洗濯は別のままでしたが、
ごはんと寝室が一緒になりました。

私が悪いのでしかたない、と受け入れることに。

単身赴任なんかついていきたくない

そのまま生活し、さらに2年経ちました。

元旦那が関西へ異動することに。
当時、息子は小学校に上がったばかり。
しかも毎朝大泣きで大騒ぎで私も学校まで一緒に歩いて登校、という
どっからどうみても余裕のない子でした。

余裕のない息子を必死でケアしていましたが、
私もつられていっぱいいっぱいに。

その時の異動、しかも関西。
一緒に来てほしい、と言われましたが
この状態の息子を連れていくのは難しすぎると断りました。

子供を理由にしましたが、私自身
なんで旦那なんかのためについていかなくちゃいけないんだよと内心思っていました。
ついていくなんて絶対嫌でした。

さんざん揉めましたが、
結果、元旦那は一人で関西に行くことになりました。

関西へ一人で行ったことで
今まで一人暮らし経験のない元旦那が自由を得てしまい
羽を伸ばしすぎた結果、浮気に走ったわけです。

単身赴任から帰ってきたら別人のようだった

単身赴任は1年間でした。

1年って短いですけど、帰ってきた旦那はすっかり自由人になってしまい
私の都合も無視で勝手に遊びに行く人になってしまいました。

何回か注意しても全然変わりませんでした。

このままでは本当に困る、と思ったので私は義母にも頼み込んで
注意してもらうよう言いました。

言われたらしばらくはおとなしいんですけど、
また少し経つとまた元通り。

そしてまた注意して・・・

それの繰り返しをしていくうちに私は疲れ果ててしまいました。

私は旦那を束縛したいわけじゃない。
家にいるからと言って別にやりたいことがあるわけじゃない。

自由に遊びまわっている姿がとにかくずるい、と思っていました。

でももう注意することを諦めました。
揉めて口論しているよりは自分が我慢している方が楽だと思ったんです。

このころからもう旦那に対する気持ちは消えていたのかもしれません。

カレンダーを見ると土日はほぼ旦那の予定で埋まっていました。
そんな感じの生活を4年間やりました。

私の心もすっかり乾いてしまい、もうどうでもよくなっていました。
生活費稼いできてくれればもういい。

居ても居なくてもどっちでもよくなっていました。

元旦那の死を願う毎日

そのうちに私は旦那の事故死をのぞむようになってきました。

旦那が乗ってる飛行機墜落しないかな
旦那が歩いてるところに車がつっこんでこないかな

旦那が帰ってくるとため息。

私が片づけをしていると勝手に配置を変えたのが気に入らないのか
いつも怒鳴られていました。
それも聞き流すことができるようになってきました。

おそらく外での元旦那のイメージは温和な感じだと思います。
でも結婚生活の終盤は特に、家だと違ってました。
気に入らないことがあると怒鳴る
直してほしいところがあってお願いしてもそれを聞き入れることはない。

一緒にいるけど、一緒に生活している意味は感じなかった

私の心は乾ききってカラカラでした。
でも、乾いていることは自覚がない状態。
自分で自分の気持ちを見ようとしてきませんでしたからね。
口論がないから平和なんだって思うようにしていました。